曾祖父(ひいおじいさん)の評価:評価不能
この辺になってくると評価材料が乏しく評価不能です。
彼の名前は伊藏でした。
幕末に世間を震撼させた京都の「人斬り以蔵」と同じ呼び名であったため、皆から人斬りイゾウと呼ばれ、そのことが嫌だったと伝え聞いています。
同じような世代だったのでしょう、なんとも時代を感じます。
当時の当家は質屋を営んでいましたが、彼の人柄を偲ばせるようなものは何も残っていません。
僅かに彼宛の明治天皇の行幸記念ハガキだけで、文面もなく単に綺麗だから残しているような感じです。
質屋業に関しては曾祖母宛ての手紙が多く残されており、実質支配者は曾祖母だったとの聞き伝えが正しいと思っています。
彼は、伝え聞くところによると妾がいたようですが、彼が若くして(47歳)他界したため、その女性は岐阜県安八郡に移り住んだと聞いています。
曾祖母は彼との間に実子がなかったことも影響したのか、死後もその女性とその子の援助をしていたと聞いています。
時代背景はありますが、よくやるなという感じです。
それにしても幕末から明治維新、日清戦争、日露戦争と激動の時代を生き抜きながらも、ちゃっかりしたところもある人物だったのかなと思います。