先代評価4 祖父

第二次世界大戦で焼け野原となった現在の大阪市中央区に疎開先から戻った先祖を待っていたのは土地収容の話でした。

聖マリア大聖堂のために大阪市の要請を受諾したのは、祖父が大阪市の役人だったことも影響したのかもしれません。

その補償で当時は原っぱで何もなかった大塚町(現在の北田辺)に引っ越しました。

祖母は家が変わることがとても嫌だったと私に言っていましたが、祖父は土地には執着心はなかったのかもしれません。

祖父が偉いなと思うのは北田辺の土地を、一部換金したりあるいは補償金を使い込むことなく、すべて土地資産で保有した点です。

祖父は鉄鋼や電力などの当時の資産銘柄株も多数保有していました。

給与の一部を株式投資していたのだと思います。

先祖からの資産に依存することなく、頭を鍛え、給与をしっかりと貯蓄し分散投資するスタイルは現在でも模範的です。